西浦の田楽
開催予定日 | 2月14~15日 |
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例年開催日 | 例年旧暦の1月18・19日 |
地区 | 天竜区 |
開催地 | 聖観音堂(天竜区水窪町奥領家) |
主催者 | 西浦の田楽保存会 |
文化財区分 | 国指定重要無形民俗文化財 |
カテゴリー | 国指定・国選択、民俗芸能、田楽 |
開催状況 | 開催されます |
中世から続く世襲制の祭り
西浦の田楽は、毎年旧暦の1月18日の夕刻から翌19日の朝まで、五穀豊穣、無病息災、子孫長久、水火の難を除く神事として、夜を徹して行われます。
昭和51年5月に重要無形民俗文化財として国の指定を受けたこの田楽の起源は、養老3年(719年)に行基菩薩がこの地を訪れ、聖観音と24面の面を作り、その年の7月10日に吉郎別当が祭りを始めたと言われ、亨保年間に田楽祭に改められました。
この祭事は17人の「能衆」、2人の「たよがみ少年」、3人の「能頭」、そして棟梁とも言うべき1人の「別当」と呼ばれる人たちの世襲制です。
この能衆たちは、祭りの前の定められた期間は魚、肉は一切口にしないなど、厳しい戒律を現在もかたくなに守り続けています。
祭事は旧暦の大晦日に始まり、田楽祭が催される1月18日までの間、稗(ひえ)酒作りなどの諸行事が行われます。 そして、1月18日の午後9時頃、大かがり火の焚かれる観音堂に能衆たちが入り、田楽が始まります。
田楽の内容は、平安朝期にうまれたと言われる旧楽能の様式を伝える「地能」33番、南北朝期を起源とする猿楽能の形式をもつ「はね能」12番、その他「獅子舞」、「しずめの舞」と合わせて47番の舞で構成され、翌朝まで舞い続けられます。
(参考文献:(2003):『天竜区の伝統芸能』:伝統&郷土芸能フェスティバル実行委員会)
昭和51年5月に重要無形民俗文化財として国の指定を受けたこの田楽の起源は、養老3年(719年)に行基菩薩がこの地を訪れ、聖観音と24面の面を作り、その年の7月10日に吉郎別当が祭りを始めたと言われ、亨保年間に田楽祭に改められました。
この祭事は17人の「能衆」、2人の「たよがみ少年」、3人の「能頭」、そして棟梁とも言うべき1人の「別当」と呼ばれる人たちの世襲制です。
この能衆たちは、祭りの前の定められた期間は魚、肉は一切口にしないなど、厳しい戒律を現在もかたくなに守り続けています。
祭事は旧暦の大晦日に始まり、田楽祭が催される1月18日までの間、稗(ひえ)酒作りなどの諸行事が行われます。 そして、1月18日の午後9時頃、大かがり火の焚かれる観音堂に能衆たちが入り、田楽が始まります。
田楽の内容は、平安朝期にうまれたと言われる旧楽能の様式を伝える「地能」33番、南北朝期を起源とする猿楽能の形式をもつ「はね能」12番、その他「獅子舞」、「しずめの舞」と合わせて47番の舞で構成され、翌朝まで舞い続けられます。
(参考文献:(2003):『天竜区の伝統芸能』:伝統&郷土芸能フェスティバル実行委員会)
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